収益物件の売却前に鑑定評価書は必要か。仲介査定と併用したい3つの場面

「そろそろ売ろうと思って、仲介会社3社に査定を出してもらいました。8,500万円、7,900万円、7,200万円。どれを信じればいいですか」。売却を考え始めた投資家の方から、よくいただくご相談です。
結論から申し上げます。多くの売却では仲介査定だけで十分です。売り先が市場で、決めるのが自分一人なら、複数社の査定で相場観をつかみ、媒介を依頼して反応を見る。これがもっとも早く、費用もかかりません。売却のたびに鑑定評価書を取るべきだ、とは私たち鑑定士も考えていません。
ただし、査定では役割を果たせない場面が確実にあります。共通点は、価格を自分一人で決められないこと。あなた以外の誰かが納得しなければ売却が前に進まない場面です。本コラムでは、査定と鑑定評価が答えている問いの違いを整理したうえで、鑑定評価書を併用したい3つの場面と、どの順番で費用をかけるべきかをお伝えします。特定の物件の売買を推奨するものではありません。
査定と鑑定評価は、答えている問いが違う
仲介査定は「いくらで売れそうか」の予測
仲介会社の査定は、宅地建物取引業者が媒介契約の獲得に向けて行うサービスです。近隣の成約事例や売出事例、自社が把握する買主の動きをもとに、「この価格なら売れるはずだ」という成約可能性の予測を示します。
これは根拠のない数字ではありません。宅地建物取引業法第34条の2第2項は、媒介契約の締結にあたって売買すべき価額または評価額について意見を述べるときは、その根拠を明らかにしなければならないと定めています。査定書に事例が並ぶのは、この規定があるためです。
それでも査定額が業者ごとに割れるのは、査定が「予測」だからです。想定する買主層、売り切る期間、自社が買い手を抱えているか。前提が違えば合理的な予測は複数成り立ちます。冒頭のように1,300万円の開きが出ても、どれかが間違っているとは限りません。
鑑定評価は「いくらの価値があるか」の意見
一方、不動産鑑定評価は、不動産の鑑定評価に関する法律に基づき、不動産鑑定士が国土交通省の定める不動産鑑定評価基準に則って行う価格の判定です。原価法・取引事例比較法・収益還元法を適用し、試算価格を調整して結論に至ります。その過程が書面に残り、第三者が読んで検証できる形になります。
大切なのは、鑑定評価額が「必ずこの金額で売れる保証」ではない点です。示されるのは、合理的な市場で形成されるであろう価格についての専門家の意見です。実際の成約価格は、売り出し時期・買主の資金調達・交渉力で上下します。両者の制度的な違いは不動産鑑定評価と業者査定はなにが違うのかで整理しています。
だから「どちらか」ではなく「併用」になる
| 観点 | 仲介査定 | 鑑定評価書 |
|---|---|---|
| 答えている問い | いくらで売れそうか | いくらの価値があるか |
| 作成者と目的 | 宅建業者・媒介契約の獲得 | 鑑定士・依頼目的に応じた価格の判定 |
| 第三者への説明力 | 当事者間の参考資料 | 検証可能な形で外部に提出できる |
査定で市場の温度を測り、鑑定評価で価格の妥当性を説明する。役割が違うのですから、必要な場面では両方使えばよいのです。
場面1:共有者がいる売却で、合意の土俵をつくる
共有物件の価格は、必ず利害が割れる
兄弟で相続した1棟アパート、知人と共同購入した戸建賃貸。共有物件の売却でほぼ必ず起きるのが、価格をめぐる対立です。売り急ぎたい共有者は低くても早く現金化したい。余裕のある共有者は高く売れるまで待ちたい。持分の買い取り話になれば、買う側は安く、売る側は高くと、利害が真正面から逆を向きます。
この状態で仲介査定を持ち出すと、事態はしばしば悪化します。安く売りたい側が低い査定を、高く売りたい側が高い査定を持ち寄り、「あなたの選んだ業者でしょう」となるからです。どちらの査定も業法上の根拠は満たしているのに、当事者間では説得材料になりません。
第三者の意見書が動かすもの
ここで機能するのが、いずれの共有者とも利害関係を持たない鑑定士による評価です。鑑定士は仲介手数料を受け取らず、報酬は鑑定業務そのものに支払われます。高く見積もっても安く見積もっても収入は変わりません。共有者全員で費用を按分して1通の鑑定評価書を取得すれば、「双方が同じ土俵に乗った」という事実そのものが交渉を前に進めます。
協議がまとまらなければ裁判上の共有物分割請求という道もあり、令和5年4月1日施行の改正民法第258条では、他の共有者の持分を取得して金銭を支払う賠償分割が明文化されました。手続の進め方は弁護士にご確認ください。私たち鑑定士がお答えできるのは、その手続で用いられる価格の根拠をどう作るかという点までです。
想定されるケース:持分2分の1ずつの木造アパート
相続で兄弟が持分2分の1ずつを取得した築25年の木造アパートを想定します。弟が持分を買い取り、兄は現金化したいという構図です。仲介査定はA社8,500万円、B社7,200万円。兄はA社を、弟はB社を主張して膠着します。
そこで収益から検証します。満室想定の年間賃料720万円、空室・滞納損失を見込んだ実効総収益650万円、運営費(管理費・修繕費・公租公課・保険料など)180万円とすると、純収益(実効総収益から運営費を差し引いた額)は470万円。還元利回り(純収益を価格に割り戻すための利率)を6.5パーセントと判定すれば、収益価格は約7,230万円です。
この数字はA社ともB社とも一致しませんが、どうしてその金額になるのかを説明できます。持分2分の1相当の約3,615万円で合意すれば、兄はB社査定より高く現金化でき、弟はA社査定より安く取得できる。双方が「相手の言い値ではない」と受け止められる点に価値があります。なお還元利回りは立地・築年・遵法性で大きく変わり、この数字は説明のための仮定です。
場面2:法人間・同族間の取引で、税務上の時価を説明する
時価から離れた売買は、課税を呼び込む
収益物件を自身の資産管理法人へ移す、グループ会社間で動かす、親族間で売買する。こうした相対取引は、市場を通さないぶん価格を自由に決められるように見えます。しかし税務上はそうではありません。
所得税法第59条第1項第2号は、個人が法人に対して著しく低い価額の対価で資産を譲渡した場合、その時の時価により譲渡があったものとみなして譲渡所得を計算すると定めています。国税庁の所得税基本通達は、この「著しく低い価額の対価」を時価の2分の1に満たない金額としています。法人側でも、法人税法第22条により時価との差額が受贈益として益金に算入されうる扱いです。
想定されるケース:資産管理法人への譲渡
個人で保有する区分マンション(取得費2,000万円)を、自身の資産管理法人へ2,500万円で譲渡したとします。時価が6,000万円だったと後から認定された場合、2,500万円はその2分の1である3,000万円を下回るため、6,000万円で譲渡したものとみなされます。
譲渡費用等を捨象すれば譲渡所得は4,000万円。長期譲渡所得の税率20.315パーセント(所得税15パーセント・復興特別所得税0.315パーセント・住民税5パーセント)を適用すると、税額は約813万円です。実際に受け取ったのは2,500万円なのに、その3割を超える負担が生じる計算になります。加えて法人側でも差額3,500万円が受贈益として問題になりえます。
鑑定評価書は「価格を決めた過程」を残す
鑑定評価書が果たす役割は、価格を正当化することではありません。価格をどう判断したかという過程を、取引時点で検証可能な形で残すことです。税務上の時価の考え方は税目や取引の類型で異なり、鑑定評価額がそのまま税務上の時価として無条件に採用されるわけでもない。ここは明確に申し上げます。それでも、何の根拠もなく決めた価格と、基準に則った評価を踏まえた価格とでは、説明の出発点がまったく違います。価格の決め方は必ず事前に税理士にご確認ください。
場面3:相続人間の調整を前提とした売却
相続税評価額は、交渉材料にならない
相続で取得した収益物件を売る場面では、相続税の申告書に記載された評価額が一人歩きしがちです。しかし相続税評価額は、土地なら路線価方式または倍率方式、建物なら固定資産税評価額という、課税のために定型化された金額にすぎません。
遺産分割で不動産をいくらと評価するかは別の話で、実務上は分割時の時価を基準に考えるのが一般的です。相続開始時を基準とする遺留分の場面とも基準時が異なります。一人が「路線価ではこの金額だ」と言い、別の相続人が「市場ではもっと高い」と返す対立は、この構造から生まれます。
換価分割でも、代償分割に切り替わる可能性がある
売却して現金を分ける換価分割なら、成約価格が実額で出るので価格の争いは起きにくくなります。問題は、売却活動の途中で「それなら私が買い取る」という相続人が現れる場合です。この瞬間に、話は代償分割へ切り替わります。
代償分割では、取得する相続人が他の相続人に支払う代償金の算定根拠が要ります。売却活動中の売出価格は根拠になりません。交渉の出発点であって、成約した価格ではないからです。相続人のうち一人でも取得に関心を示しているなら、売却活動と並行して価格の根拠を用意しておくと、話が切り替わっても止まらずに済みます。なお遺産分割の進め方は弁護士に、相続税の取扱いは税理士にご確認ください。
併用の実務:どの順番で、いくらかけるか
順番は「査定を複数 → 乖離の確認 → 必要なら鑑定」
費用のかけ方には順番があります。まず仲介査定を複数社から取る。無料で、市場の温度と想定買主層の情報が得られます。次にばらつきを見る。最高値と最安値の差が1割程度なら、市場の見方はおおむね一致していると考えてよいでしょう。差が2割を超える、あるいは前段の3つの場面に当てはまる場合に、鑑定評価の検討へ進みます。最初から鑑定を取る必要はありません。まず市場に聞いてから判断するほうが合理的です。
費用と、書面の使い分け
当事務所の場合、鑑定評価基準に則った鑑定評価書は30万円から(顧問鑑定士サービスの会員価格で20万円から、いずれも税別)、基準に則らない価格等調査報告書は対象と調査範囲により10万円台からが目安です。
注意していただきたいのが書面の選び方です。価格等調査報告書は、調査結果が依頼者の内部における使用にとどまる場合などに用いるもの。共有者・取引相手・他の相続人といった第三者に提示する前提があるなら、鑑定評価書を選んでください。後から利用者の範囲を広げるには鑑定士の承諾が必要で、基準に則らない調査を後から鑑定評価書へ格上げすることもできません。この線引きは不動産鑑定はいくらかかるのか。鑑定評価書と価格等調査報告書の違いで詳しく整理しています。
取らなくてよい場面を、はっきりさせる
公平を期して申し上げます。単独所有の物件を、第三者に、市場を通して売る。決めるのは自分一人で、納得できなければ売らなければよい。この構図なら、複数社の査定と売り出し後の反響がもっとも正確な情報源です。鑑定評価書に30万円をかけるより、原状回復や写真撮影に回したほうが成約価格への寄与は大きいでしょう。売り時の判断そのものは、収益不動産の売却タイミングを、感覚ではなくデータで決めるで4つの軸から整理しています。
まとめ
売却前に鑑定評価書を取るべきかどうかは、物件の規模でも金額でもなく、「価格を自分一人で決められるか」で決まります。決められるなら査定で足ります。決められないなら、第三者が検証できる根拠が要る。この一点だと断言します。
要点を振り返ります。
- 仲介査定は成約可能性の予測、鑑定評価は価格についての専門家の意見。答えている問いが違うので競合せず併用できる
- 共有者がいる売却では、利害関係を持たない鑑定士の評価が、当事者間の膠着を解く共通の土俵になる
- 法人間・同族間の取引は所得税法第59条や法人税法第22条に関わる課税リスクがあり、価格を決めた過程を残す意味が大きい
- 相続人間の調整では相続税評価額は交渉材料にならず、代償分割へ切り替わる可能性がある限り価格の根拠が要る
- 順番は査定を複数取り、乖離が大きいか第三者が絡む場合に鑑定へ。外部に提示するなら鑑定評価書、内部判断なら価格等調査報告書
- 単独所有物件を市場で売るだけなら鑑定評価書は不要。査定と売り出し後の反響のほうが正確
共有者と出口を考えている方、法人へ物件を移す予定の方、相続した物件を兄弟と分けようとしている方。いずれも、価格の根拠は交渉が始まる前に用意しておくほど効きます。こじれてから取得した評価は、相手から「対抗手段」と受け取られやすいためです。
収益物件の適正価値を客観的に把握したい投資家の方は、顧問鑑定士サービス(月額5,500円・税込)で、売却前にどの書面が必要かの整理を含めた壁打ちを承っています。鑑定評価書・価格等調査報告書のいずれもお見積りを差し上げますので、どなたに何を示す必要があるのかをお聞かせください。


